コラム川島なお美さんも受けたがん末期の腹水治療

公開日:2018-11-06

長生き時代に頑張る!

ニッポン発の新・医療機器&サービス 第1回

 

 ものづくりを得意としてきた日本ですが、医療機器では欧米メーカーが世界シェアを牛耳っています。そうした中、医療と工学が連携し、ニッポン発の医療機器&サービスが広がり始めています。このコラムではその最前線の動きを、医師や患者の視点に立って紹介していきます。

 

 

 第1弾は日本人の死亡原因の1位となっている「がん」の患者さんに関係する話題です。2015年9月、女優の川島なお美さんが、胆管がんで54歳の生涯を終えました。亡くなる数週間前、都内で開かれたイベントに出席した川島さんは、骨格が浮き出るほどに激やせし、闘病の過酷さを感じずにはいられませんでした。

 

 

9月のイベントに出席した時の川島なお美さん
(写真:アフロ)

 

 

 当時、がんの終末期に入っていた川島さんには、ある症状が起こっていました。腹部に体液が蓄積してしまう腹水で、その量は何リットルにもおよびます。大量の腹水がたまると、お腹が張って食事することが困難になり、横になると息苦しくなるために睡眠もままならなくなります。また血液の中にある老廃物を尿として排出する腎臓が圧迫されてしまうので、利尿剤が効かなくなって尿も出なくなり、さらに腹水がさらにたまっていく悪循環が生じてしまいます。

 

 

 川島さんも大量の腹水に苦しめられましたが、死ぬ間際までミュージカルの舞台にも立ち、女優人生を貫きました。それを支えたのがニッポン発の腹水治療技術で、都内にある要町病院(東京都豊島区)が最先端を走ります。

 

 

約5リットルの腹水を、同じ月に3度も抜く

 

 

 川島さんは、亡くなる20日前の9月4日、強い満腹感で要町病院に緊急入院し、お腹にたまっていた全量4.6リットルの腹水を抜く治療を受けました。その3日後の7日には都内で開かれたイベントに出席、さらに翌8日にはミュージカル「パルレ 〜洗濯〜」の横浜公演の舞台に立ち、初日を飾りました。

 

 しかし、再び腹水がたまり始め12日に4.7リットルの腹水を抜きます。4日後の16日には長野・伊那市民劇場での公演に臨んだのですが、翌日に不調を訴えて舞台を降板しました。19日に3回目の腹水治療で5.7リットルを抜きましたが、24日に帰らぬ人となりました。

 

 腹水の治療は複数ある中で、川島さんが受けた治療は「腹水ろ過濃縮再静注術」と呼び、要町病院で腹水治療センター長を務める外科医、松崎圭祐さんが開発に携わりました。治療には08年に松崎さんが開発した「KM-CART」という医療機器を使います。KMは松崎さんのイニシャルで、CARTは腹水ろ過濃縮再静注術の略称です。

 

 

要町病院の松崎圭祐・医師
1981年、広島大学医学部卒業後、広島大学第2外科入局。
82年、高知医科大学(現・高知大学医学部)第2外科入局、
83年、医学博士号取得。89年、防府消化器病センター勤務、
2003年高知医科大学臨床教授就任。11年から要町病院
腹水治療センター勤務、現在に至る

 

 CARTは、がんや肝硬変の患者の腹水を一度抜いてろ過し、必要なたんぱく質のみを濃縮して患者の静脈に戻す治療法です。腹水をろ過する工程で血球やがん細胞、細菌等を除去し、残った腹水から余分な水分と電解質などを取り除き、体に必要なたんぱく質を濃縮して静脈から患者の体内に戻します。

 

 

 

 

 

進行すると闘病意欲があっても緩和ケアを勧められる

 

 

 がんによる腹水である「がん性腹水」の場合、その多くは患者が腹水による苦痛を訴えるようになると、どんなに闘病意欲があっても緩和医療への移行を勧められてしまいます。また肝硬変による「肝性腹水」の場合は、利尿剤の効果がなくなるばかりか利尿剤が腎機能を害する恐れも生じます。大量の腹水がたまる中で、治療を続けることが困難になってしまうのです。

 

 

 「たまった腹水を抜けば済むのでは」と考えたくなりますが、簡単に済まない事情があるのです。例えば、がん性腹水にはがん細胞や細菌など以外に、栄養や代謝物質を運ぶアルブミンや免疫を高めるグロブリンなど、生きていくのに欠かせないたんぱく質がたくさん含まれているからです。

 

 

 このため、ただ抜くだけでは患者の栄養状態が低下し、衰弱してしまいます。また大量に抜いた場合は血圧低下や腎不全などを起こす可能性が高まります。こうした事情もあって「腹水は抜いたらいけない」という考えが医療現場に浸透し、治療には水分や塩分を制限する食事療法や、利尿剤やステロイドなどの投薬、腹部にカテーテルを刺し、腹水を抜いてアルブミン製剤を投与する治療などが行われてきました。

 

 ただし、これらの治療法はがんや肝硬変の末期に起きる大量の腹水が溜まるようになると、効果が薄れてしまいます。そこで開発されたのが、腹水をろ過してまた体内に戻るCARTなのです。

 

 


 

一度はがんの治療現場から姿を消したCART

 

 

 実はCARTに使う医療機器を開発したのは、冒頭に紹介した要町病院の松崎さんが初めてではありません。1977年に東京大学(現・東京共済病院)外科医の山崎善弥さんが開発していたのです。これでがん性腹水に苦しむ患者が救われると思われたのですが、現実は違いました。

 

 

 肝性腹水の治療では大きな問題にはならなかったのですが、がん性腹水ではわずか2リットルでろ過用の膜が詰まってしまうこともありました。通常は5〜20リットルの処理が必要なのですが、それに満たない量でろ過できなくなったのです。

 

 

 がん性の腹水にはがん細胞や血球などの細胞成分や血液凝固に働くタンパク質のフィブリン、粘液などと含まれている成分が多いため、ろ過する膜がすぐに目詰まりを起こしてしまったからです。その原因は、ろ過の方式にありました。

 

 

 初期に開発された「CART」では透析治療と同じ内圧方式が採用されていました。ろ過膜に細いストローの形状をした中空糸が使われ、その大きさは乾いたそうめん(素麺)よりも細いのです。その筒の中に腹水をポンプで圧力をかけて押し込むため、腹水に含まれるがん細胞がすりつぶされてしまったり、有害な粘液がろ過されずに体内に戻す濃縮液に混ざったりしてしまったのです。

 

 「健康な状態ではない」腹水が体内に戻されてしまうことで、がん患者はショックや高熱を引き起こすようになり、従来の「CART」はがん治療の現場から姿を消していきました。そんな「腹水ろ過濃縮再静注術」に再び着目したのが、要町病院の松崎さんでした。

 

 

医師になった年に母親ががんに

 

 

 松崎さんは、医師になった年に母親が卵巣がんで腹水が溜まる姿を目の当たりにしました。がん治療に携わりたいと医師なった松崎さんは、母親と同じようにがんで腹水に苦しむ患者と向き合いながら「何とかしてあげたい」と思いが強くなっていました。

 

 

 その思いが従来のCARTを改良した「KM-CART」の開発につながったのです。KM-CARTの最大の特徴は、ろ過を「外圧」方式にしたことです。従来のCARTは「内から外」にろ過するのを、KM-CARTは「外から内」にする方式にしたことで、ろ過面積が広くなり、内圧方式のように圧力をかけなくても済むようになったのです。

 

 

 

 

 またフィルターが目詰まりしても容易に洗浄できるような工夫をしたことでろ過の効率が上がり、従来は3リットルの処理に2〜3時間かかっていたのが25分前後と大幅に短縮できるようになりました。時間が大幅に短くなることで、栄養や免疫を濃縮した自己たんぱく質を患者に早く戻せるようになり、一度に大量の腹水を安全に抜くことができるのです。

 

 KM-CARTでは、これまでに最大で一度に27リットルもの腹水を抜いた治療をしています。また外圧方式にしたことで高額なポンプが不要になり、導入コストを抑えられるようになりました。

 

 

 松崎さんは、従来の弱点を克服する外圧方式のCARTの開発に至ったのは、心臓外科に関わった経験が生きています。消化器外科医としてスタートした松崎さんは、母親の病気もあり、卒業した広島大学から郷里にある高知医科大学(現・高知大学医学部)附属病院に移りました。

 

 

 そこで心臓外科の担当教授から与えられた学位論文のテーマが「体外循環とろ過膜」でした。膜の研究や体内の血液を体外に出して、老廃物を除去したり、酸素を加えたりして、体内に戻す体外循環について学んだのです。この時に得た知見がKM-CARTの開発に役立ちました。

 

 

 松崎さんが勤務する要町病院は2011年8月に専門外来の「要第2クリニック」を開院し、難治性腹水治療のほか、睡眠時無呼吸症候群や禁煙外来、がん緩和相談などを完全予約制で診療しています。松崎さんによれば、KM-CARTを使った難治性腹水治療を行う専門の施設は世界中のどこを探してもないとのことです。

 

腹水を抜いた4日後にはゴルフ場でプレー

 

 開院以来、6000人を超える腹水患者を治療し、腹水で大きくお腹が膨らんだ患者が車いすで来院し、歩いて退院していくことも多いとのこと。回復が早い人もいて、乳がんの60代女性は治療の4日後にゴルフのラウンドに出ました。また、アルコール性肝炎で肝硬変を患った70代男性は、約26リットルの腹水治療を行った 翌日には昼食を食べて退院しました。

 

 

車いすで来院し、治療の4日後にはゴルフを楽しんだ患者

 

 大量の腹水は、がんや肝臓病の終末期の症状なので、長距離の移動に耐えながらようやく要町病院にたどり着いたものの、治療を目前にして息を引き取る患者もいたそうです。それでも要町病院に着いたときに「やっと楽になれる」と最後の笑顔を浮かべた患者の姿は、残された遺族の悲しみを和らげる効果もあるそうです。

 

 「元気になって退院する患者さんも、治療が間に合わなかった患者さんも、病院から出るときには腹水は空っぽにしています」と松崎さんは話します。

 

 

 一度に20リットル以上もの腹水を治療できるKM-CARTですが、まだ知名度は低い状態で、「人からたまたま聞いたり、ネットで見つけたりして要町病院を訪れるケースは少なくない」と松崎さんは話します。今年6月に要町病院でKM-CARTによる腹水治療をした女性もそうした一人です。

 

 

 16年9月に卵巣がんのステージ3と診断され、抗がん剤治療を受けた後に17年1月末に手術を受けましたが、横隔膜にがんがめかぶ状に広がり、がんを摘出できなかったそうです。腹水がたまり始めたのは今年3月頃から。当時、入院していた病院では、1回に2〜3リットルの腹水を抜き、たんぱく質の点滴や輸血の治療や従来のCART治療も試みたのですが、機械に不純物が詰まって処理が全くできなかったといいます。

 

 

 「今後は腹水を抜いても、捨てるだけで体内に戻せないため、次第に体力は落ちていく」と入院先の医師から告げられてショックを受けていた矢先、たまたま隣のベッドにいる患者からKM-CARTを知ることになったそうです。

 

 

 すがる思いで要町病院を訪れると、最初の治療で5.5リットルの腹水を抜き、すべてろ過処理して体内に戻してもらえたことに驚きを隠せませんでした。今も腹水がたまって苦しくなると要町病院を訪れ、これまでに7回の治療を受けたと話します。

 

 

 冒頭に紹介した川島なお美さんは、要町病院で最初の治療を受けた際に「死ぬなら舞台の上で死にたい」と松崎医師に話したそうです。松崎医師よれば、9月のイベント出席後、川島さんは階段から転び、肋骨を骨折していました。がんや腹水に加え、骨折の痛みも抱えながらも、川島さんは女優人生を貫きたいと、最後まで病気と闘うことを諦めませんでした。

 

 KM-CARTが実用化される前は、川島さんのように闘病意欲を持っていても腹水治療を諦め、緩和ケアに移る患者もいました。治療を諦めたくないという患者や家族の思いに応えていくには、KM-CARTで腹水治療ができる施設が広がっていくことが欠かせんませんが、その数は全国ではまだ80施設とのことです。


 「日本に限らず世界中の『腹水難民』を救える世界を目指して努力していきます」と松崎さんは語ります。

構成/真弓重孝=みんかぶ編集部

執筆者情報
柏野裕美(Hiromi Kashino)

柏野裕美(Hiromi Kashino)
  1975年、大阪生まれ。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。広報戦略コンサルタント。
短大卒業後、電器メーカーに就職。シンガポールにわたり日系メーカーに勤務しながら、英ノーザンブリア大学の夜間プログラムに通い、2007年3月にマーケティングマネージメントの学位を取得。同年帰国後、米国の語学アプリベンチャーの日本法人に転職、広報戦略を担当。13年に独立・起業。ジャーナリストとして医工連携をテーマに執筆。医師や看護師をはじめとする医療従事者、患者、医療機器などものづくり企業、自治体を中心に取材活動を続ける。

執筆者の紹介

清水香(Kaori Shimizu)
生活設計塾クルー
清水香(Kaori Shimizu)

生活設計塾クルー・取締役 ファイナンシャルプランナー(CFP・...

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